旭川電気軌道の保存車両と沿線遺構
 
  旭川四条駅を起点として郊外の旭山と東川まで路線を延ばし、昭和47年12月31日限りで廃線となった旭川電気軌道東旭川線と東川線。かつては日本最北の電鉄として知られていましたが、会社名はそのままに、バス会社として現在も旭川市内一円に路線を伸ばし盛業中です。この旭川電気軌道で活躍していた電車が2両、廃止から40年以上たった現在も大切に保存されています。
 ここでは、その2両の電車の紹介・訪問方法のほか、沿線に残る遺構やその他のみどころもあわせて紹介していきます。





モハ1001
 まず紹介するのは東旭川公民館に保存されているモハ1001。1955年(昭和30年)日本車輌製造。同時代、同メーカーの製品である富山地方鉄道14770形に似た印象の車体長18mの立派な「電車」です。当時の旭川電気軌道では、もちろん最新・最大の車両で、同形式で製造されたのは、この1両のみの、文字通りピカイチの存在でした。
 電気軌道という名前からは、いわゆる路面電車タイプの小さな電車を想起しますが、旭川電気軌道の場合は、東川線で電車牽引による貨物輸送を行っていた関係もあるのか、軌道というものの床の高い「普通の」電車を使っていたことが特徴でした。このため、路面電車にありがちな乗降用ステップはなく、路面区間では道路の真ん中に朝礼台のような、ホームとも呼べない簡素な乗降台を置き乗り降りしていたそうです。
 余談ですが、旭川出身の玉置浩二をリーダーとするバンドグループ「安全地帯」の名前の由来は、この旭川電気軌道の路面停留所であった言われています。
 さて、このモハ1001、公民館の敷地内に屋外保存されていますが、冬期はシートに覆われてしまうため、見学できるのは例年5月のゴールデンウィーク頃から11月上旬くらいまでとなります。シートを外す時期と覆う時期は、降雪状況により一定しないため、微妙な時期に訪問を考えている場合には要問い合わせです。
 車内は通常鍵がかかっていますが、公民館の職員さんにお願いして空けてもらい、車内を見学することが可能です。 この電車が現役で活躍したのはたった17年。その後40年以上の歳月をこの地で過ごしてきたわけですが、冬にはきちんと冬囲いをされているせいか、窓枠などの木部にやや劣化が見られるものの全体として保存状態は良好。この電車を維持する関係者の努力に頭が下がる思いです。 

     
 40年以上静態保存され、今なお良好なコンディションを保つモハ1001    連結器横に補助ライトがついているのが、唯一併用軌道を走る路面電車らしいところ。
     
     
 ホームも再現されています。役場前は、保存場所の最寄りバス停「東旭川1条6丁目」の電車時代の駅名です。    運転台機器。制御方式は間接自動制御とのことですが、その性能を生かして連結運転することはなかったと思います。
     
     
 車内。フローリングの床板は後年の補修によるものでしょうか。    屋根上の様子。
     
      
 車内には路線図・運賃表がありました。  
   
   
 ネット上では見かけない冬囲いの姿を紹介します。    車内に掲示されていた旭川四条駅時刻表。
  
     アクセス方法
 バス利用の場合は、旭川駅前から旭川電気軌道40・46系統旭山公園入口行き又は41・47系統旭山動物園行きに乗車。東旭川1条6丁目で下車。全系統あわせて30分毎に運行されています。下車後徒歩約10分、旭川小学校裏手の東旭川公民館にあります。
 ちなみに40・46系統が4条18丁目から、かつての旭川電気軌道のルートをほぼなぞって走ります。道端を砂埃を巻き上げながら走っていた往事の姿を想像しつつ車窓を楽しみましょう。40・46系統終点の旭山公園入口にあるバスの回転場が、ちょうど電車の終点、旭山公園駅があった場所だそうです。
 鉄道利用の場合、旭川駅から石北本線普通列車に乗車し、東旭川駅下車徒歩約20分です。鉄道を利用した場合には、ホーローの駅名看板に要注目。正しくは「ひがしあさひかわ」ですが一か所だけ「ひがしあさひがわ」という看板があります。「あさひかわ」が国鉄時代「あさひがわ」を名乗っていた名残りでしょうか。ちょっとした遊び心で設けてあるものと思います。新旭川にも同様の「しんあさひがわ」看板があります。
 また余談ですが、モハ1001の保存されている東旭川公民館の近くにある旭川市立旭川中学校と旭川小学校、中心部にあるわけでもないのに、なぜ旭川を名乗っているのかと言いますと、かつてここが「旭川村」という別の自治体だったことに由来しているそうです。
   
「 ひがしあさひかわ」(左)と「ひがしあさひがわ」(右)


  
モハ101
 東川線の終点にあたる東川町にある東川町郷土館(旧東川町役場)内に、旭川電気軌道のもう一台の保存車、モハ101が大切に保存されています。保存場所は屋内で、かつ東川郷土館は開館日がかなり限定(下記開館日参照)されているため、見学ハードルは高めではありますが、開館日と訪問スケジュールがうまく合うのであれば、電車好きはぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
 モハ101は1949年(昭和24年)日本車輌製。車体長12mの小形電車です。1949年に旭川電気軌道は車庫火災により、それまで保有していた多数の車両を焼失するという災禍に見舞われました。そこからの復興を遂げるべく製造されたのが、このモハ100形です。
 それまで保有していた二軸単車の路面電車スタイルから、小さいながらも郊外電車のスタイルに一気に進化した100形は、まさに旭川電気軌道の車両史を変えた電車と言えると思います。全部で101~103の3両が製造された100形は、旭川電気軌道の最大勢力であり、その後廃線まで旭川電気軌道の主力として活躍しました。 現在の101号は、屋内の狭いスペースに押し込められての保存のため、残念ながら全体像を撮影することはできませんが、その分保存状態は完璧です。車内広告なども現役当時の姿のままであり、モハ1001にも増して現役時代の息づかいが感じられる、まさにタイムカプセル的な保存といえるでしょうか。 東川町郷土館はこのモハ101に限らず、旭川電気軌道関連の資料や写真展示が充実しており、鉄道ファン必見の場所だと思います。

     
     
電車は、非常に狭いスペースに入っているため、全体像は鏡に映った姿をとらえるしかありません。    まともに写そうとすると、このとおり。かなりの広角レンズがないと頭の一部すら撮影できません。
     
     
側面の撮影もこのくらいが限界。このアングルだと、地下鉄っぽいですね。    簡素な構造の台車。撮影は苦しいですが、そのぶんパーツごとの観察は存分にできます。
     
     
現役さながらの雰囲気が伝わってくる車内。    屋内展示のため、車内は白熱灯のあかりがともっています。
     
     
モハ 101は路面電車のように、大きな直接制御のコントローラーがついています。    車内広告も残されています。これはかつて旭川電気軌道が経営していたスーパー旭友ストアの広告ですね。
     
     
     
  モハ101以外の旭川電気軌道関連の資料展示も充実しています。


アクセス方法
 旭川駅前から60・62・66系統(旭川空港経由)・67系統(豊岡経由)・76系統(東神楽経由)に乗車し、東川道草館下車(62系統のみ東川役場前下車)。東川町郷土館まで徒歩10分。67・76系統は、それぞれ一方通行の循環系統になっています。復路は往路と逆に67系統が東神楽経由、76系統が豊岡経由となるので要注意。
 このうち60・62・往路67・復路76系統が、4条18丁目以降の区間で、かつての旭川電気軌道東川線のルートをほぼ忠実になぞる形で走ります。残念ながら路線自体の遺構は残っていませんが、郊外に出ると道路沿いにレンガ作りの農業倉庫が点在し、かつてここに電車の駅があったことを伝えてくれます。
 また、旭川空港からは66系統旭岳温泉行きに乗車すれば市内に出ず、直接東川町に向かうことができます。

東川町郷土館の開館日について
  5月31日  ~ 6月30日 日曜日のみ開館
  7月 1日 ~ 8月31日 月曜日休館
  9月 1日 ~ 11月3日 日曜日のみ開館
 上記以外の時期 冬期休館
 開館時間10時~16時。入館無料。   
  ※正確には公式情報を確認のこと

     
 旧東川町役場を利用した、東川町郷土館。    かつての東川線の沿線で駅があったとおぼしき場所には、このようにレンガ作りの農業倉庫が建っています。
  
  旧東川駅跡
 旭川電気軌道東川線は、東川町市街地エリアに入ると普通の路面電車のように道路の真ん中を走っていました。そして町外れで北にそれ、専用軌道で東川駅へと入っていきました。
 東川駅跡地には、かつて鉄道が走っていたことを示す石碑がたっているほか、当時のプラットホームが残されています。
     
 東川駅跡の石碑。   かつてのプラットホームが残されています。
  
 その他のみどころ
 その他、東川駅跡地近くに鉄道車両(キハ22)やバスの廃車体がありますので、紹介します(場所は地図参照)。興味がある方は合わせて訪問するのもよいでしょう。
 特にバスは前4輪の6輪バス。その名もMR430形といいます。全国でも、ここにしか残っていない、マニア垂涎の貴重なバスです。1963年(昭和38年)製の全長12mの超大形車で、日本初の6輪バスという歴史的にも貴重な車両です。しかし、あまりにも大形過ぎたのか販売実績は芳しくなく全国で13台しか納入されなかったそうです。
 このうちの3台を旭川市街軌道(電気軌道とは別会社)の後身である旭川バスが購入し、会社が旭川電気軌道に吸収合併されるとともにバスも旭川電気軌道に引き継がれ、最後の1台は1978年(昭和53年)まで運行されました。運行当時は「お化けバス」の愛称で親しまれたそうです。製造自体がわずかだったバスが製造後50年以上を経て、廃車体とはいえ現在まで残されているのは奇跡的と言えるでしょう。個人的には大修復して博物館に入れるか、叶うなら動態保存にして動物園行きのバスとして運行させたら面白いと思っているのですが。  
   
   東川駅跡近くにあるキハ22の廃車体
  
     
6輪バスMR430形の堂々たる雄姿。    前面はクレーンで釣り上げレッカー移動してきた際に折れ曲がってしまったそうです。
  
 旭川追分付近のガーター橋
 路線の大半が道端を走る併用軌道だった旭川電気軌道。廃線後40年以上たった現在では道路拡幅などに飲み込まれ、前述の東川駅跡以外に当時の面影を伝えるものは、沿線にほとんど残っていません。
 ただ一か所、旭川追分から龍谷高校前までのわずかな専用軌道区間で、小さな川を渡っていましたが、この川を渡る鉄橋が今も残され、旭川電気軌道が走っていた痕跡を伝える貴重な遺構になっています。
 また、東川線と東旭川線が分岐し、車庫があった旭川追分駅跡地は、ショッピングセンターと広大な駐車場に姿を変えています。2013年(平成25年)9月まで、バス停名は付近の地名とは関係なく、鉄道時代のままの「旭川追分」を名乗っていましたが、残念ながら現在は豊岡3条2丁目という平凡な名前に改称されてしまいました。 側面の撮影もこのくらいが限界。このアングルだと、地下鉄っぽいですね。
   
   この小さな鉄橋が、旭川電気軌道の数少ない遺構です。
  
  
 アクセス方法
 旭川駅前又は1条7丁目から豊岡3条2丁目(旧旭川追分)又は豊岡4条2丁目で下車し、徒歩。旭川中心部からの現地までアクセスする主要なバス系統は以下のとおりです。
 豊岡3条2丁目 9・19(以上1条7丁目)・60・62・67往路・76復路(以上旭川駅前)
 豊岡4条2丁目 10(以上1条7丁目)・40・41・51・52(旭川駅前)
 往路・復路は旭川駅前基準となります。乗り場詳細は公式サイト確認のこと。40・41系統は前述のモハ1001の保存されている最寄りバス停の東旭川1条6丁目にも向かいます。40・41系統の運行は両系統あわせて1時間毎ですので、うまく時間をあわせてモハ1001訪問の復路に乗車すれば、電車とガーター橋の両方を訪問することが可能です。
 
 失われた遺産
 旭川追分駅の駅舎が、家屋の2階に移築されスナックとして活用され、旭川電気軌道の特徴だった、山小屋風の駅舎を今に伝える貴重な存在となっていましたが、残念ながら2014年(平成26年)5月に取り壊されてしまいました。  
     
2階部分が旧駅舎でした。    駅名表もありました。