旧満鉄・旧東清/北満・旧津浦・旧鮮鉄系優等車  

旧満鉄系優等車解説
 戦後中国政府に接収された旧満鉄系客車のうち、「あじあ号」や「大陸号」などの優等列車に使用されていた客車群は、車体長24m超の大形三軸ボギー車であり、車体長21〜22m級の客車が標準であった初期の中国国鉄では、日常的に使用するには運用上様々な支障がありました。また満鉄は三等級制を採用していましたが、中国国鉄は二等級制となったため、旧一等車を定期運用することは難しいという事情もありました。このため、旧一等車は、中国国鉄では豪華な車内設備を生かして共産党の高級幹部や上位の軍人の専用車として改装されることになりました。
 車内は動く執務室とホテルの役割を果たすべく、会議室、寝室、バス、シャワーつきの、戦前にもまして豪華な室内となり、極秘ダイヤと専用編成で、政府要人の地方への視察旅行に使用されるようになったのです。このような政府要人専用車両を「公務車」(車種記号GW)と言います。
 初期の公務車には、旧満鉄系の展望客車が多く使用されたり、また在来客車を改造して展望室を設置して使用されていましたが、終点での機回しなど、運用面で煩雑な部分が多く、また要人車両を編成中央に位置させたいという警備上の問題から、後に東ドイツ製の初代18系客車等に置き換えられています。しかし、引退後も歴史的人物が使用した車両として、また戦前の日本の侵略行為を後世に伝える負の遺産という意味ではありますが大切に保管され、意外に多くの車両が残存しているのは鉄ヲタ的には大変喜ばしいことです。
  
紹介車両一覧



南満洲鉄道 あじあ号客車 テンイ8

旧あじあ号客車 テンイ8形→中国国鉄 公務車GW95000号



南満洲鉄道テンイネ2形→華北交通テンイネ2形→中国国鉄 公務車GW97347号



北寧鉄道テンイネ2形→華北交通テンイネ2形→中国国鉄 公務車GW97349号



北寧鉄道テンイネ2形→華北交通テンイネ2形→中国国鉄 公務車GW97336号



満洲国鉄イロネ1形→中国国鉄 維修車 EX22 98000号



中国国鉄 試験車 SY97450号



中国国鉄 試験車 SY97334号

中国国鉄 試験車 SY97334号(中国鉄道博物館保存形態)

   



GW 95000(公務車)旧あじあ号展望車 テンイ8
DATA
製造年   1934年
全長    24,540mm
車体幅   3,056mm
車高     4,178mm
自重       53.3t
定員       16名
公務車 GW 95000 黒河
 中国の北の果て、ロシアとの国境の町、黒龍江省黒河の駅構内に残存する赤さびた旧満鉄展望車客車。この車両こそ、満鉄列車の中でも最も有名な「あじあ号」の展望車として使用されたテンイ8形の成れの果ての姿です。
 あじあ号は、大連-新京間701kmを8時間半という当時としては異例の速さで結んだ満鉄が誇る特急列車で、その専用牽引蒸気機関車「パシ」形は余りにも有名な存在ですが、客車についてもボディマウント構造、冷房完備など、当時持ちうる技術の全てを注ぎ込んで製作されたもので、テンイ8形はその最後尾を飾る展望客車として使用されていました。
 テンイ8形は1934年、満鉄沙河口工場製の一等展望車で、曲線を多用した密閉式の展望室部分は、当時アメリカで製造されていた展望客車をモデルにしたといわれています。 
 あじあ号客車は、
 テユ8(郵便・荷物車)+ハ8(三等車)+ハ8(三等車)+シ8(食堂車)+ロ8(二等車)+テンイ8(一等展望車)
 という6両編成で運転されており、計4編成が存在しました。
 戦後中国政府に接収され、満鉄沙河口工場の後身である大連機車工廠で改装され、1953年から北京からロシアとの国境、満洲里までを結ぶ1/2列車の専用客車として再デビューを飾りました。新たに「和平号」と名づけられた客車は、7両3編成(+予備3両)に組み替えられています。もともと「あじあ号」は座席車でしたが、この時にどうやら全個室の寝台車に改造されたようです。展望車につけられた「和平」というレリーフは、文人「郭沫若」の手によるもの。寝台車のコンパートメントの曇りガラスには平和の象徴である鳩をあしらったレリーフが刻まれていたといいます。ローラーベアリングつきの機関車(パシと思われます)が重連で牽引し、最高速度は130km/hだったそうです。
 しかしこの活躍も長く続かず、1950年代後半に東ドイツから18系客車が輸入され、北京からモスクワまで共通の客車で運用できるようになると、和平号は北京〜瀋陽間の特快列車に転じ、さらには上海〜杭州間の特快列車の運用についていた編成もあったようです。その後、あるものは公務車となり要人輸送に使用され、あるものは試験車などの事業用客車に格下げされました。現存するトップナンバー車、GW95000は、最後に北の果て、黒河の地方鉄道に流れつき、巡察車として使用されていたそうです。歴史的に貴重な車両ですが、残念なことに野ざらしで放置されているため状態は年々悪化しており、車体にはさびが浮き、窓ガラスの一部は割られている状態です。一刻も早くしかるべき場所で保存されることを願いたいものです。


和平号瞭望車
LW 95002というナンバーが読み取れます。
和平号硬臥車

公務車 GW 95000 黒河
 後部連結面の画像です。
 満鉄客車にしては珍しく切妻構造になっていますが、これは製造当時は貫通路部分は全周幌で覆われていた名残です。
 妻面の箱は暖房用の石炭の貯蔵庫であり、その存在から独立暖房式に改造されているとわかります。
 台車は三軸ボギーから中国製の二軸台車に振り換えられ、床下のマウントも撤去され、原形はかなり失ってしまっていますが、この際現車が残っているだけでよしとしましょう。



GW 97347(公務車)旧大陸号展望車 テンイネ2
DATA

製造年 1936年
全長    24,910mm
車体幅   3,120mm
車高     4,260mm
自重       55.9t
定員          ?
公務車 GW 97347 環形鉄道実験線
 1936年大連工場製の密閉式展望車テンイネ2形です。テンイネ2形は満鉄向けに3両、北寧鉄道向けに3両、計6両が製造されました。このGW97347号は、このうち満鉄に所属したタイプです(他GW97310→、GW97327→が存在)。北京〜奉天を結ぶ直通急行としてデビューし、華北交通移籍後の戦前全盛期には釜山から北京まで2067.5kmを37時間半かけて結んだ長距離急行「大陸号」に使用されました。曲面ガラスを多様した展望室は窓も大きくスマートかつ軽快な印象で、満鉄の看板展望車で重厚なイメージのテンイ8形とは対をなす存在といえます。
 
 急行大陸の編成は以下のとおり。
 テユ(郵便車)+ハネ(三等寝台車)+ハ5(三等車)+ハ5(三等車)+ハ5(三等車)+シ5(食堂車)+ロ3(二等車)+ロネ1(二等寝台車)+テンイネ2(一等寝台・展望車)

 テンイネ2形の一族は、中国国鉄編入後に公務車となり、要人用の専運車(お召し列車)として使用されていました。特にこのGW97347号は、初代毛沢東専用編成に組み込まれていたと言われていますが、1950年代中期に初代18系客車が輸入され、その一部が二代目運用毛沢東専用編成に充当されるようになってからの動向はよくわかっていません。近年は長らく北京郊外の環形鉄道実験線の側線に放置され、先行きが危ぶまれていましたが、2006年になってようやく隣接する鉄道博物館内に搬入されました。ベンチレーターは原形のガーランド型から中国式の煙突風のデザインのものに変えられ、連結面側の窓が埋められてしまっていますが、その他の部位については原形をよく残しています。この写真は博物館に搬入される以前の屋外に放置されていた頃の姿です。
 また、同タイプのGW97310号は瀋陽にあり、90年代には綺麗にレストアされ、日本人向けツアーでチャーター運行された実績があります。こちらは現在は瀋陽鉄路陳列館に保存されています。

 
公務車 GW 97347 環形鉄道実験線
 GW97347号サイドビュー。
 この写真ではよく分かりませんが、連結面には鉄板で塞がれてしまってはいるものの、大陸号客車最大の特徴である上半分が丸くなった窓が残されています。



GW 97349(公務車)旧大陸号展望車 テンイネ2
DATA

製造年  1936年
全長    24,910mm
車体幅   3,120mm
車高     4,260mm
自重       55.9t
定員          ?
公務車 GW 97349 環形鉄道実験線
 1936年大連工場製のテンイネ2形。テンイネ2形には、もともと満鉄所属車と北寧鉄道所属車の2タイプが存在しますが、このGW97349号は旧北寧鉄道に所属するタイプです。満鉄車と北寧車では、ステップ形状が異なっていますが、これは北寧車のほうがもともと連結器高さが200ミリ高かったことに由来します。このほか、妻面形状、窓配置等に細かい相違があるほか、室内の意匠も異なります。
 このGW97349号も現在は北京の中国鉄道博物館に搬入されています。 

GW97349号のサイドビュー。
公務車 GW 97349 環形鉄道実験線


GW97349号連結面。
妻面の窓は埋められており、そのかわり妻面に長方形の石炭貯蔵庫が設けられています。
このことから、従来の蒸気暖房から独立暖房方式に改造され、牽引機関車が蒸気機関車からディーゼル機関車に変更になっても、引き続き使用されていたと推測できます。
公務車 GW 97349 環形鉄道実験線


GW97349が履く三軸ボギー台車。
おそらく製造当初のものと思われます。
  公務車 GW 97349 台車  
 

 
 
  GW 97336(公務車)旧「大陸」号車輌   
 
 
 
     
DATA

製造年   1936年
全長    24,910mm
車体幅   3,120mm
車高     4,260mm
自重       55.9t
定員         ?
   公務車 GW 97336 中国鉄道博物館 
   1936年大連工場製。GW97349号と同様北京〜奉天を結ぶ直通急行用に製造された北寧鉄道のテンイネ2形をルーツとしますが、このGW97336号のみ、理由は不明ですが展望室が取り除かれたスタイルで登場しています。また車内の造作は、テンイネ2形とは通路と室内の位置関係が正反対になっています。
 登場後は他の満鉄テンイネ2形とともに、北京〜奉天急行に使用されました。この急行列車は華北交通成立の1938年10月に釜山まで延伸され、かの有名な急行「大陸」号となります。
 中国国鉄編入後は、他の満鉄系優等客車同様に公務車となりました。特にこの97336号は周恩来専用客車として使用されたとされ、その歴史的意義を買われて鉄道博物館で保存されることになったものです。床置き式の空調装置が後年の改造で装備されている(妻面には空調電源用のジャンパもあり)のが、展望式のテンイネ2形には見られない特徴であり、運用しやすく警備上の問題も少ない中間車の形態が幸いしたのか、おそらくは展望式のテンイネ2形より長く活躍したと思われます。また妻面の上半分が丸くなった特徴的な形状の窓こそ埋められてしまっていますが、ベンチレーターはオリジナルのガーランド式、台車もおそらくオリジナルのものであろう三軸ボギー台車を履き、製造当初の面影を良く残し、現存する満鉄客車の中では最も保存状態が良好な車両の一つと言えます。

 なお、このGW97336と連番のGW97337・GW97338・GW97339の3両の「大陸」号に使用したと思われる三軸ボギー客車が、北京の西郊の軍事飛行場敷地内の車庫に現存しているようです→。その他にも先述のテンイネ2形3両など多くの客車が残され、現存車がほとんど存在しない「あじあ号」客車とは対象的です。  


 

 
 
  EX22 98000(維修車)旧満洲国鉄イロネ1   
 
 
 
     
DATA

製造年 1935年
全長  24.5m
換長  2.2m
自重   42.0t
定員    9
  維修車 EX22 98000  瀋陽維修段  
   1935年大連工場製造。満洲国鉄向けに製造されたイロネ1形をルーツとする全長24m級の大型三軸ボギー客車で、中国国鉄編入後の経歴は不明ですが、最後は事業用車(維修車)に改造され、瀋陽駅の南にある維修段に残されていました。現在台車が中国製のものに履き替えられてしまっているのは残念ですが、満鉄系客車の優等車両に固有の特徴である妻面やドアに使用されている半円形の窓は原形のまま残されています。現在は瀋陽鉄路陳列館に保存されています。→

 
     妻面のアップ。
「大陸」号用客車の特徴である半円形の妻窓がそのまま残されています。
   維修車 EX22 98000  瀋陽維修段 
   

 
   
   

 
   SY 97450(試験車)  
   
 
 
      北京の環形鉄道実験線で撮影された謎の展望客車です。
 ノーリベットの車体構造から、おそらくは旧満鉄系の鉄骨木造車を、中国国鉄編入後に鋼体化改造したものと推測しますが、詳細は不明です。
  試験車 SY97450 環形鉄道実験線    RRE様提供 
 

 
 
     
  SY 97334(試験車)   
 
 
 
     
DATA

製造年 ?
車体長  19320mm
車体幅  ?
車体高  ?
自重    ?
定員    ?
  試験車 SY 97334 中国鉄道博物館  
   中国鉄道博物館に保存されている出自不明、製造年不明の木造客車。窓枠構造やデッキの形態は満鉄の鉄骨木造車に準じていますが、車体長が満鉄標準車より1.5mほど短くなっています。標準仕様が確立する前の初期の客車なのか、満鉄の影響を受けた傍系の鉄道会社の車両なのかは、今後の研究が待たれるところです。
 中国国鉄編入後は公務車として使用され、後に事業用客車(試験車)に改造されました。そのため車内には会議室や寝室を備えた公務車同様の豪華な室内構成になっています。
 この車両、もともとは緑皮塗装でしたが、山西省大同の車両工場内にある蒸気機車陳列館に保存される際に展望室デッキ付きに改装され、車体塗装は京奉鉄道を走った清朝皇帝専用客車の塗装として伝わる黄色に塗りかえられましたが、それが原形復元かは非常に疑問です。北京の中国鉄道博物館ができた際に、あわせて保存されていた多くの古典蒸気機関車とともに、はるばる豊沙線を走行して引っ越してきました。

 ・ちなみに、実際の皇帝専用客車はこんな姿だったそうです。→
 ・これは西太后が、はじめて汽車に乗る際に製造された「龍車」の模型です。→


   
    SY97334の展望デッキ側からのカット。
復元改造?により、展望デッキ側には、凝った飾り意匠の柵や、ステンドグラスの装飾が施されています。
  試験車 SY 97334 中国鉄道博物館  
     より原形をとどめていると思われる、展望デッキとは反対サイドの画像です。
  試験車 SY 97334 中国鉄道博物館 
     1988年に撮影された改装前の緑皮塗装時の姿です。
試験車 SY 97334 環形鉄道実験線   RRE様提供 





旧東清/北満鉄道系優等車解説
 もともと中国東北地方を東西に横断する満洲里から綏芬河に至る路線と、ハルビンから長春、大連を経て旅順港に至る路線は、ロシアの手により、ロシア広軌を採用して建設されました。このうち、長春から旅順までは日露戦争後(1905年)に日本に営業権が譲渡され南満洲鉄道として運営され、それと同時に標準軌に改軌されることになりますが、長春以北の路線は、東清鉄道として引き続きロシアがロシア広軌により運行することになります。1932年に満洲国が成立した後は、東清鉄道は満洲国とソ連の合弁企業となり1933年には北満鉄道と改称。1935年に満洲国に譲渡され、運営は南満洲鉄道に委託し、1937年に至りようやく旧北満鉄道区間が標準軌に改軌され、満鉄と一元的に運営されるようになりました。
 こうした経緯のもとに満鉄に引き継がれた旧北満鉄道の車両群は、満鉄車にはない特徴を持っています。多くの車両は1918年から製造開始された車体長20.2mのソ連第一世代の標準型客車をベースにしていますが、外観上目立つのは車体下部を覆う鉄板とリベット。車体上部は木製で、下部は厚い鋼板張りという、他に類を見ない独特の構造をしています。一説には、治安の不安定な地域を走るため、弾丸よけに厚い鋼板を貼ったとも言われています。また、暖房装置や機関車の故障がすぐさま生死につながる地域ゆえに、各車両に暖房用ボイラーを搭載した独立暖房方式を採用していることも、当時のソ連形客車全般に通じる特徴の一つです。
 東清鉄道時代は欧亜連絡鉄道として、ワゴン・リ社も寝台列車を運行しており、特に豪華な車両は満鉄を経て中国国鉄まで公務車として引き継がれました。見た目どおりの木造車らしからぬ堅牢な造りが公務車に向いていたのか、旧北満鉄道の車両はたびたびの更新改造を受けつつも、今でも比較的多くの車両(といっても片手で数えられる程度ではありますが)を見ることができます。

 東清鉄道の車両はラトビアの鉄道博物館でも見ることができるそうです。このサイトでは、東清鉄道客車の特徴がわかりやすくとらえられていると思います。→
   紹介車両一覧



中国国鉄 公務車 GW97350号



中国国鉄 公務車 GW97351号



東清鉄道・公務車


東清鉄道・公務車→中国国鉄 特種車 TZ97431号



中国国鉄 公務車 GW97318号



中国国鉄 公務車?  車番不詳




GW 97350(公務車)旧北満鉄道
DATA

製造年 1940年改造?
全長   21,390mm
車体長  20,200mm
車体幅  3,140mm
車体高  4,393mm
自重    ?t
定員    ?t
公務車 GW 97350 鄭州世紀歓楽園
  鄭州の遊園地、世紀歓楽園に保存されている公務車GW97350号。そのルーツはソ連系の北満鉄道の車両であり、全長20.2m級のソ連第一世代標準型客車がベースと思われます。
  このGW97350号は、本来は木製である車体上半部も、鋼製の完全半鋼車に改造され、窓もサッシが入るなど大きく手が加えられていますが、車体下部の重厚なリベット打ちの鋼板に種車の面影を残しています。
 
 
GW97350号サイドビュー。
公務車 GW 97350 鄭州世紀歓楽園



GW97350号サイドビュー。
上の写真とは反対側を撮影したものです。
公務車 GW 97350 鄭州世紀歓楽園



GW 97351(公務車)旧北満鉄道
DATA

製造年 1940年改造
車体長  22,400mm
車体幅  3,140mm
車体高  ?mm
自重    ?t
定員    9
公務車 GW 97351 鄭州世紀歓楽園
 1940年満鉄工場(皇姑屯)製ということになっていますが、その車体長や台枠部分のふくらみなどから判断し、ルーツはGW97350と同じ旧北満鉄道の引継ぎ車と思われます。恐らく1940年というのは車体更新年を示しており、旧台枠のうえに、当時の満鉄標準仕様である1m幅窓の車体を組み合わせた車両と考えられます。ただし、現在のところ満鉄に、このような仕様の展望車があったという記載は見つかっていないため、密閉式の展望室部分は中国国鉄編入後にテンイネ2形を参考にして後付で改造したものと思われます。また更新車体はノーリベット形態となっているため、車体の新造更新の時期自体も、中国国鉄編入後の可能性があります。
 公務車改造後は、名誉主席の宋慶齢をはじめ多くの要人を乗せて活躍しました。1997年の廃車後は、愛国教育の教材として多くの車輌基地で展示公開されたあと、鄭州鉄路局の手により修復され2004年の9月12日より世紀歓楽園で公開されています。

公務車 GW 97351 鄭州世紀歓楽園
GW97351号サイドビュー。
テンイネ2形とよく似ていますが一回り小型です。

TZ 97431(特種車)旧北満鉄道
特種車 97431 レストラン「上海老站」
 上海市内のレストラン、「上海老站」の庭園内に保存されている客車の一つ。
 1919年、ソ連・エカテリンブルク車両工場製、1922年に中国に輸入され民国政府の公務車として使用された車両で、ソ連20.2m級客車の標準スタイルをとります。中華人民共和国成立後は宋慶齢専用車(宋慶齢専用車多いな)として使用されたのち、最後はジャムス鉄路分局の救援列車編成中の宿営車両として使用されていました。
 なお、現在サンクトペテルブルクの鉄道博物館に東清鉄道の公務車が復元保存されており、その姿を東清鉄道の英語版ウィキペディアなどで見ることができますが、窓配置などから判断して、この特種車97431号と同形式車と考えられます。→
 兄弟車両が、100年近い時を経て、片や上海、片やサンクトペテルブルクと、全く違う国・場所で保存されていることには、大いなる歴史ロマンを感じますね。


北満鉄道車両の特徴である独立暖房のボイラーが、客車内に残されていました。


GW 97318(公務車)旧北満鉄道
公務車 97318 レストラン「上海老站」
 上海市内のレストラン、「上海老站」の庭園内に保存されている客車の一つ。上述の特種車97431号の一世代前にあたる1896年製造初年のロシア18m級標準客車の生き残りです。この車両は1899年清朝の西太后専用客車としてドイツ・ハノーバー車両工場で製造され、民国政府時代にも高級官僚専用車として使用されたとの公式情報ですが、見てのとおり典型的な東清・北満車両スタイルをとっており、公式情報どおりの経歴かどうか疑わしいところです。中華人民共和国成立後はハルピン鉄路局に所属して宣伝教育車として使用されていました。


車番不詳旧北満鉄道
車番不詳 環状鉄道実験線  Raicho様提供
 中国鉄道博物館の目の前を走っている環状鉄道実験線に、かなり以前から放置されている旧型客車です。
 おそらく公務車と思われますが、車番が消されているため、正確にはどのような用途で使用されていた客車か不明。車体形状から東清・北満鉄道由来の車両と思われます。




   旧津浦鉄道系優等車解説  
   
   津浦鉄道は、天津から民国政府の首都南京の長江を挟んだ対岸、浦口までを結んだ1010kmの鉄道で、路線の北半分がドイツ、南半分がイギリス資本により建設され1912年に全線開業しました。
 津浦鉄道の開業により、北平(北京)から天津までは北寧鉄道、南京から上海までは京滬鉄道を利用し、三社で北平〜天津〜南京〜上海間の鉄道による大動脈が形成されることになりましたが、浦口〜南京間のみ大河長江に行く手を阻まれ、この区間は長らく渡船による連絡となっていました。しかし1933年9月に鉄道連絡船が開通したことで、北平から上海まで乗り換えなしの直通列車が運行されるようになります。滬平通車(Shanghai-Peiping Express)と呼ばれる、ワゴン・リ社の寝台車も併結した豪華列車や、アメリカ製の大形鋼製車ブルートレインの運行もあり、戦前の華やかなりし時代には満鉄に匹敵する中国鉄道の雄とも言える存在でした。
 しかし日中戦争がはじまると津浦鉄道沿線は全線が戦場となり、特に鉄道は日中双方の争奪の中心となった結果、直通列車の運行は途絶してしまいます。国民党政府は撤退に際して、鉄道施設のほぼ全てを破壊したため、その後津浦鉄道や北寧鉄道を引き継ぐ形で日本占領地域に成立した華北交通の時代には、日本から供出された車両を中心に運行されるようになり、国際色豊かな客車は一転して日本色・満鉄色に染められることになっていくのです。

 なお余談となりますが、南京長江大橋が開通し、長らく鉄道連絡船が役割を終えるのは戦後もしばらくたった1968年のことでした。
 滬平通車については、ここで非常に詳細に紹介されていますので、興味のある方はぜひ一読を!(ただし中国語)→

   
     
   ドイツ資本で建設された津浦鉄道の天津側ターミナル、現天津西駅です。  イギリス資本で建設された津浦鉄道の南京側ターミナル、現南京北駅(旧浦口)。長大で幅広いホームが往時をしのばせてくれますが、南京長江大橋の完成後はターミナルの機能を喪失し、現在は定期列車の発着は一本もなく廃駅の状態です。
紹介車両一覧



津浦鉄道 藍鋼快車 一等車/特別室合造車



中国国鉄 公務車 GW97384号


上海鉄道博物館 包車(旧 GW97384号)


首都鉄鋼遷安専用線 硬座車


CA2形 宿営用餐車



   上海鉄路博物館 包車(GW 97384)旧津浦鉄道 
 
 
 
上海鉄路博物館 包車 上海鉄路博物館 包車
   上海鉄路博物館 包車  上海鉄路博物館 包車
   
 1923年アメリカン・カー・アンド・ファンドリー製の鋼製車で、かつて上海エクスプレスやブルートレイン(藍鋼快車)と呼ばれた津浦鉄道きっての花形車両の末裔です。
 一族は一等寝台車10両、二等寝台車10両、三等寝台車10両、特別室/一等寝台合造車5両、食堂車5両、展望室つきの特別車5両の計45両。特別車は車体長23.317m、その他の車両は車体長22.098mと、当時の車両としてはかなりの大形車。当時の日本国鉄には鋼製車両はまだ登場しておらず、満鉄でもようやく鋼製車の試作を始めたばかりのこの時期に、本格的な鋼製車を登場させているのは特筆すべきことです。
 北京から浦口まで1,154kmを約29時間で走破した特急1/2列車は一編成8両で構成され、一等寝台車は2人部屋8室、二等寝台が4人部屋7室、三等寝台が6人部屋8室という構成。大形車体にもかかわらず、三等車ですら定員は48名とかなり贅沢な作りになっていることが伺われます。客車はアメリカ製ではありますが、津浦鉄道はもともとイギリス製やドイツ製の客車が主体であったため、その流儀にのっとりアメリカ形のプルマン式寝台を採用せず、コンパートメント方式を採用していたのも特徴の一つです。
   
 ブルートレインの食堂車  ブルートレインの特別室
   
 張作霖爆殺事件時に張作霖が乗車していた客車もブルートレインであることが写真から判明しています。 

 北平と南京の間を各界の名士を乗せて颯爽と走りぬけたブルートレインでしたが、華やかな時代は長く続かず、日中戦争が勃発し、津浦鉄道は運行途絶状態となります。そして国民党政府は、日本軍へ利用されることを防ぐため撤退の際に、多くの機関車と路線を破壊しましたがブルートレインもその破壊に巻き込まれたか、いずれにせよその後、揃った編成で上海〜浦口間を駆ける姿は二度と見ることができませんでした。
 上海鉄路博物館に保存されている「包車」は、このブルートレインの貴重な生き残り。中国国鉄編入当初はその豪華な設備を生かして公務車(GW 97384)として使用されたあと、1964年には作業監督車となり、成昆線など各地の建設現場で活躍しました。1995年以降は淮南駅に休車状態で放置されていましたが、2003年の上海鉄路博物館のオープンにあたり、その歴史的価値が認められ、復元保存されることになったものです。
 
 この包車、復元にあたって展望台を設けています。もともとブルートレインにも展望台つきの特別車がありましたが車体長や窓配置的に、この包車は特別車ではなさそうです。恐らく種車は特別室/一等寝台の合造車と思われますが、この車両には展望台はついていません。また屋根形状は、オリジナルは丸屋根ですが、後年の改造により屋根が嵩上げされ妻面が切妻になっています。この屋根形状については復元されていません。よく観察すると、幕板部分にオリジナルの屋根ラインが残っているのがわかると思います。このように、あくまでも雰囲気重視で、必ずしも正確な復元とは言えないのが残念なところですが、末永く良好なコンディションを維持して、保存し続けてほしいものです。

 さて、この包車以外にもブルートレインの末裔たちが中国国鉄に編入され、改造を重ねながら活躍を続けたことが分かっています。ネットで確認できる華麗なる一族の末裔を紹介しましょう。
 華北省の首都鉄鋼遷安専用線で、硬座車に格下げされ従業員輸送用に活躍したと思われる車両の廃車体。三等寝台車からの改造と思われます。→●
 宿営用餐車CA2形に改造された車両。窓配置的には食堂車ではなく、二等寝台車からの改造と思われます。→


旧朝鮮総督府鉄道系優等車解説
   
    満鉄は、朝鮮北部の一部の鉄道路線について鮮鉄より運行委託を受け運行していたため、中国国鉄成立時にハ9形をはじめとする一部車両については中国国鉄に編入されたことがわかっています。しかし、戦前に京城〜釜山間を運行していたはずの、あかつき号用客車ラテンイ1形が、中国国鉄に引き継がれた経緯は謎に満ちています。中国に引き継がれたラテンイ1形は、GW97443号と、旧型公務車としてはかなり末番が附番されていることから、中国国鉄成立時には在籍しておらす、その後の朝鮮戦争時代の混乱期に中国国鉄に持ち込まれたものと推測されます。
   
紹介車両一覧


朝鮮総督府鉄道 ラテンイ1



韓国国鉄 17号貴賓車



中国国鉄 公務車 GW97443号


GW 97443(公務車)旧鮮鉄ラテンイ1


DATA

製造年 1934年?
全長  22.8m
換長  ?
自重  ?
定員  ?
公務車 GW 97443 太原北宮花園
 山西省太原の公園に保存されている展望客車。その特徴的な前面スタイルから、戦前に釜山-京城間を結んでいた鮮鉄の軽量密閉型展望車ラテンイ1形の成れの果ての姿です。

 この保存車は、日本の過去の侵略行為を伝える生きた教材として使用されているそうですが、ちょっといわくつき。
 保存車の前面の説明書きにはGW97443号と、もう一台ペアで使用されたGW97348号(現在廃車解体済み)の解説が書いてあります。
 それによると、GW97443号は1935年満洲国鉄道鉄道工場製、GW97348号は1934年、朝鮮総督府鉄道京城工場製とのこと。この説明を信じれば、GW97443号はラテンイ1形ではないことになりますが、しかし、説明ともに掲示されている鮮鉄製とされたGW97348号の写真を見ると、明らかに「大陸」用の客車と分かります。GW97438の前後ナンバー、GW97347・GW97349がともに「大陸」用のテンイネ2形であることを考えると、GW97348は旧大陸用の客車でほぼ間違いなく、この説明書きの1934年、朝鮮総督府鉄道京城工場製という説明はおかしいということになります。
 この両者の製造年、製造元は逆ではないでしょうか?おそらく残されたGW97443号を日本の侵略行為をダイレクトに説明しやすい満鉄車輌にしたいがために、またおそらくは朝鮮戦争時に持ちこまれたであろう、この客車の出自を隠すという意味でも、意図的に取り違えて説明している可能性が高いと思われます。ご苦労なことです。

 鮮鉄ラテンイ1形を出自とする車両は韓国ソウルの鉄道博物館にも17号貴賓車が保存されていますが、戦後改造されすぎて原形をとどめていません。異国の地で満鉄車と身分を偽っているGW97443号のほがはるかに原形に近い姿を留めているのは皮肉なことです。


GW97443号、正面カット。
看板を車体正面に置くのはやめてほしいですね。
公務車 GW 97443 太原北宮花園


後方より撮影したもの。
木と塀に囲まれていて全体写真は撮れません。
公務車 GW 97443 太原北宮花園